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福岡地方裁判所 昭和43年(行ウ)72号 判決 1985年6月26日

原告

石橋純雄

原告

金子弘光

原告

金本政夫

原告ら訴訟代理人弁護士

前野宗俊

吉野高幸

岩城邦治

上田国広

坂元洋太郎

三浦久

鍬田万喜雄

河村武信

諫山博

木梨芳繁

斉藤鳩彦

古原進

林健一郎

小泉幸雄

中村照美

角銅立身

被告

北九州市水道局長 古本邦博

被告

北九州市長 谷伍平

被告ら訴訟代理人弁護士

苑田美穀

山口定男

立川康彦

被告水道局長指定代理人

乾信夫

伊藤博史

半田譲二

被告市長指定代理人

生田久

山口彰

重富忠晴

山本博徳

坂田満州男

丸山文治

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(一)  被告北九州市水道局長が原告石橋純雄に対してした昭和四三年四月二七日付の懲戒免職処分を取り消す。

(二)  被告北九州市長が原告金子弘光、同金本政夫に対してした昭和四三年五月二四日付の懲戒免職処分をいずれも取り消す。

(三)  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  原告石橋純雄は昭和四三年四月当時、原告金子弘光、同金本政夫は同年五月当時、それぞれ別紙(略)目録中「所属」欄記載の部署に勤務する地方公務員であった。

被告北九州市水道局長(以下「被告水道局長」という。)は、地方公営企業法(以下「地公企法」という。)の適用を受ける北九州市水道事業の管理者であって、原告石橋純雄の任命権者であり、被告北九州市長(以下「被告市長」という。)は、原告金子弘光、同金本政夫の任命権者である。

(二)  被告水道局長は、昭和四三年四月二七日付で原告石橋純雄に対し、被告市長は、同年五月二四日付で原告金子弘光、同金本政夫に対し、いずれも懲戒免職処分(以下「本件各処分」という。)をした。

(三)  しかしながら、本件各処分は違法であるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因(一)、(二)の各事実は認めるが、同(三)は争う。

三  被告らの主張

(一)  北九州市(以下「市」というときは北九州市を指す。)の職員団体及び労働組合

昭和四二、四三年当時、北九州市においては、北九州市職員労働組合(以下「市職労」という。)北九州市職員組合(以下「市職」という。)北九州市役所労働組合(以下「市労」という。)北九州市病院労働組合(以下「病院労組」という。)北九州市水道局労働組合(以下「水道労組」という。)北九州市交通局労働組合(以下「交通労組」という。)北九州市交通局新労働組合(以下「新交通労組」という。)北九州市大学教員組合の職員団体及び労働組合があった。

市職労は、組織内組織として、地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という。)の適用を受ける企業職員によって組織される水道評議会及び病院評議会、地公労法の準用を受ける「単純な労務に雇用される職員」によって組織される現業評議会の三評議会を設置し、また、下部組織として門司・小倉・若松・八幡・戸畑の五区及び本庁に支部を設置し、更に、支部は日常的な組合活動のための組織として、総務・民生・清掃など職場を単位とした分会を設置していた。

市職、市労は、下部組織として、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の五区に支部を設置し、市職は本庁にも支部を設置していた。

また、右で述べた各組合のうち、病院労組は市職の内部組織として市職の指揮下にあり、市職、市労及び水道労組の三組合は上部団体である全日本自治団体労働組合(以下「自治労」という。)に加盟し、交通労組は上部団体である日本都市交通労働組合連合会に加盟しており、新交通労組は全国公営交通労働組合協議会に加盟していた。

更に、市職、市労、水道労組、病院労組及び港湾職組(当時福岡県と北九州市が設置していた一部事務組合である北九州港管理組合の職員で組織されていた組合)の五組合は、事実上の連合体として、自治労北九州市労働組合連合会(以下「市労連」という。)を結成していた。

《以下事実略》

理由

一  請求原因(一)及び(二)並びに被告らの主張(一)(北九州市の職員団体及び労働組合)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告らの違法行為の背景について

(一)  北九州市における行財政改革

北九州市が昭和三八年二月一〇日に門司、小倉、若松、八幡及び戸畑の五市合併により発足したこと、昭和四二年三月谷伍平が市長に選出され就任したこと、市長が病院・水道の両事業のそれぞれについて、財政再建の申出議案を同年九月定例市議会に提出し、同年一〇月一四日議決を得て、同月一七日、一八日に再建申出を自治大臣に対してなし、次いで財政再建計画を作成し、同年一二月定例市議会において両事業の財政再建計画について議決を得、翌四三年一月三〇日自治大臣の承認を受けたこと、右財政再建計画が、病院事業については給食業務等に従事する単純労務職員ら二六六名の減員を含み、水道事業については職員数を一〇五名削減することを含んでいたこと、昭和四一年四月一日以降、単純労務職員の給料表と一般行政職員等の給料表とが分離されたこと、特殊勤務手当について一部の手当が廃止され、また、種類が整理されたこと、市職員の標準的な勤務時間が、従来、一週間について実働三八時間、拘束四一時間と定められていたところ、勤務時間が一日について三〇分延長され、一週間の実働時間が四一時間に統一されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、次の各事実を認めることができ、同認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和三八年二月一〇日に門司、小倉、若松、八幡及び戸畑の五市合併により発足した北九州市は、一〇〇万都市としての都市機能の充実、整備に膨大な行政需要を擁しながら、北九州地域経済の不振による市税収入の伸び悩み、各種特別会計の収支の悪化、人件費の急増等が原因となって、その財政事情は窮迫し、毎年多額の実質赤字を出し、また、他の大都市等に比べて人件費、公債費等の非弾力的な義務的経費の構成比率が著しく高く、これが投資的経費に対する圧迫、しわ寄せとなって投資的経費の構成比率が著しく低かった(例えば、昭和四一年度における北九州市の歳出全体に占める投資的経費の割合は、二一・八パーセントであった。)。このような財政硬直化の傾向は年々強まり、市民生活の環境整備等は容易に進捗せず、既成の大都市に比しますます著しい立ち遅れを示していた。右の非弾力的義務的経費のうち人件費の構成比率が高いのは職員の給与水準が国家公務員に比べて高く、また、人口当たりの職員数が六大都市の中で最も多いことなどに主要な原因があった。

昭和四〇年七月に行われた自治省の行財政調査においても財政建て直しのため人件費の増加を抑制するよう強調され、また、病院、水道等の各種特別会計事業の改善合理化が強く指摘された。北九州市発足以来これら多くの懸案について、改善のための多くの努力がなされたが容易に好転せず、その前途は極めて多難な状況であった。

昭和四二年三月谷伍平が市長に選出され就任した後、市当局はこのような行詰りを打開し、積極的に市行財政の建て直しに取り組むことになった。その一環として市政の能率向上と人事管理の是正のため、次に述べる財政再建計画、給料表の改訂、特殊勤務手当の整理統合及び勤務時間の是正統一等を行うこととした。

(1)  交通、水道、病院の三事業の財政再建計画

北九州市が経営する交通、水道、病院の各事業は地方公営事業としてその経済性が要請されるにもかかわらず、事業経営の経済的合理性が貫徹されず膨大な累積赤字をかかえ込み、事業の存立さえも危ぶまれる状態であった。この累積赤字を解消し、企業の経済性を回復して、企業経営の改善合理化を図り、もって企業の健全性を回復することが市政の焦眉の急務であった。

このため、市当局は、交通事業については地方公営企業法(以下「地公企法」と略称する。)第七章以下により財政再建計画を実施することとして、昭和四二年六月市議会において同事業の財政再建計画について議決を得、同年七月一五日自治大臣の承認を受け、この再建計画により同事業の再建を行うこととした。

一方、病院、水道両事業についても、その経営悪化の原因の追究、経営分析等を鋭意進め、その結果、抜本的再建策として、前記交通事業と同様地公企法所定の財政再建計画による再建を図ることとなった。

そこで、病院・水道の両事業のそれぞれについて、財政再建の申出議案を昭和四二年九月定例市議会に提出し、同年一〇月一四日議決を得て、同月一七日、一八日に再建申出を自治大臣に対してなし、次いで自治省との事前協議を経て財政再建計画(病院事業については収入増加、支出の節減、一般会計からの援助を骨子とし、職員の勤務条件等に関するものとしては、昭和四三年三月三一日までに給食業務等に従事する単純労務職員ら二六名を減員すること、給料表を国家公務員のそれに準じたものに改めること、特殊勤務手当等を整理統合すること、勤務時間を延長すること等をその内容とし、水道事業については企業合理化、料金改訂、国の援助を骨子とし、職員の勤務条件等に関するものとしては、職員数を昭和四二年一一月一日から同四七年七月三一日までの間において一〇五名減員すること、給料表を国家公務員のそれに準じたものに改めること、特殊勤務手当等を整理統合することなどをその内容とする。)を作成し、同年一二月定例市議会において両事業の財政再建計画について議決を得、翌四三年一月三〇日自治大臣の承認を受けた。

(2)  給料表の改訂

給与は職員の職務と責任に応ずるものでなければならず、生計費や国、他の地方公共団体の職員及び民間事業の従業員の給与その他の事情を考慮して定めるべきものであるにもかかわらず、市職員に適用される給料表は、その職務と給料月額との対応において国家公務員のそれにくらべて高く、そのためその給与水準は国家公務員を相当上回わり、また、他の地方公共団体のそれに比しても上位のもので、市内民間企業の従業員の給与に比較してもかなり高水準であった。このことから給料表については、おおむね国家公務員の同職種に対応させ、国に準じた給料表に改めることとし、おおむね国の俸給表に一〇パーセント程度を増額させた給料表に改めることとした。また、単純労務職員の給料表については昭和四一年四月一日以降一般行政職員等の給料表と形式的には分離されたが、実質的には何ら行政職のそれと差異のないものであったため、国、他の地方公共団体のそれに比し著しく高水準のものであった。そこで、国の給料表に準じた適正なものに改訂することにした。

(3)  特殊勤務手当の整理統合

北九州市職員に支給される特殊勤務手当は、同一職種のものであっても、市職員が所属する部局によってその手当額及び支給範囲が異なり、また、既にその勤務に特殊性が失われているものまでも支給されていた。そこで、勤務の特殊性特にその危険、不快、不健康等の度合いの高いものに対して支給することとし、従来の職員の所属部局によってその支給額及び支給範囲が異なるなどの不合理を是正し、額及び種類を整理統合した。

(4)  勤務時間の是正統一

北九州市職員の標準的な勤務時間は、従来、一週間について実働三八時間、拘束四三時間と定められ、国、他の大都市、市内主要民間企業等の勤務時間に比し著しく短かく、また、職種別、所属部局別に不均衡なものが多く、そのため市の行政能率の向上が阻害され、市民サービスの停滞があった。

そこで、市職員の勤務時間を国、他の地方公共団体のそれと均衡し、合理的なものに改訂することとして、勤務時間を一日について三〇分延長し、標準的な実働時間を週四一時間に是正統一した。

(二)  組合との交渉の経緯

市当局が、昭和四二年一二月二六日、市職労を始め市職、市労に対し翌年四月一日から勤務時間、給与制度の改正を行う旨の事前通告を行い、あわせてこれに関する協定等は破棄する旨を通告したこと、市当局が、次いで昭和四三年一月二三日、右三組合に対し勤務時間の改正案、特殊勤務手当の統一案及び旅費の改正案を提出し、同月三〇日には給料表の改正案を提出し、同日、前記一月二三日提示の三項目について第一回目の交渉を行ったこと、その後、前記三項目及び給料表改正について、同年二月六日、同月一三日、同月一九日と交渉を重ねたが、右三組合は全面的に反対を主張し、了解点に達するに至らなかったこと、市当局は、同月二二日、市職労と交渉を行ったが、これも全くの不調に終り、自治労本部等の代表者と市長とのトップ会談も全くの物別れになったこと、また、同年三月一三日に行われた市助役松浦功と市労委員長との会談、同月一四日に行われた谷市長と自治労代表者との会談もこれまた不調に終ったことは、当事者間に争いがない。

(三)  昭和四三年二月、三月当時の市の状況

(証拠略)を総合すると、次の各事実を認めることができ、同認定を覆すに足りる証拠はない。

1  前記財政再建計画、給料表の改正、特殊勤務手当の整理統合及び勤務時間の是正統一等に反対して、市職労は、昭和四三年二月二三日、市労連と共闘して区役所等で勤務時間にくい込む職場集会を行い、また、清掃事業部門で一日ストに突入した市労連に同調して就労せず、業務を著しく停滞させた。

2  同年三月一五日、市職労は、本庁舎及び各区役所において、早朝からピケを張り職員及び市民の入庁を阻止するとともに、市労連と共闘して生活防衛集会と称する勤務時間にくい込む職場集会を行った。また、清掃事務所では多数の組合員が終日職場を離脱し、請願行動と称して市議会に押しかけ、議会における審議を妨害した。一方、市労連も、本庁舎及び各区役所において市職労と共闘して勤務時間にくい込む職場集会を行い、清掃、学校給食部門では終日ストライキを行った。

3  同月二一日は勤務条件改正案等の議案が市議会本会議において議決される予定であったところ、市職労は、同日、市労連とともに市当局の職務命令を無視して多数の組合員を職場離脱させ、支援の団体員らとともに請願行動と称して市議会に押しかけ、議事堂内外を埋め尽くし、同日の市議会本会議の開会を実力で阻止した。このような請願行動は同月二五日まで続けられ、このため四日間にわたって市議会本会議を開会することができず、ついに、同月二五日、市議会本会議を開会するため警察官を導入して勤務条件改正案をはじめとする各議案の議決を行った。この間、連日にわたって多数の市職員が市当局の再三の職務命令を無視して職場を離脱したため、市の業務の正常な運営が著しく阻害された。

三  原告らの違法行為及び処分の根拠法条について

(一)  原告石橋純雄について

後記同原告に関して当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の各事実を認めることができ、同原告本人尋問の結果中同認定に反する部分は採用することができず、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。

1  同原告は、昭和三九年四月一日付で市水道局に採用され、業務部八幡営業所に配属されて以来料金係に所属し、受持区域内の水道使用者を訪問して水道料金等を各使用者から直接徴収することを主な職務としていた(以上の事実は、当事者間に争いがない。)ものであるが、昭和四二年九月定例市議会において水道事業の財政再建の申出議案が可決された後の同年一一月ごろから、次のとおり、無断欠勤・職場離脱を繰り返して職務を放棄し、徴収業務を怠った。

(1) 同原告は、昭和四二年一一月においては、六日に欠勤したのをはじめ、財政再建計画に反対して管理職員への抗議に参加するなどして、たびたび職場を離脱して職務を放棄した。料金係職員の勤務状況は、各職員の受持区域内の徴収すべき件数に対する実際に徴収した件数(受持分のうち各使用者が営業所に持参して収納した件数を含む。)の割合である徴収率を算出することによって明らかにすることができるところ、同月において、係平均徴収率が八〇・八パーセントであるのに対し、同原告の徴収率は三八パーセントにすぎなかった(同月における係平均徴収率及び同原告の徴収率が右のとおりであったことは、当事者間に争いがない。)。

(2) このため、同年一二月上旬、同営業所長安高八朗が「先月の徴収成績が特に悪い。仕事の方も頑張ってやれ。」と注意し、同原告の同月における徴収率は、係平均徴収率(九二パーセント)を上回る九五パーセントになったものの、昭和四三年一月になると同原告の勤務状況は再び悪化し、同月における係平均徴収率が八九・八パーセントであったのに対し、同原告の徴収率は七八パーセントであった(昭和四三年一月における係平均徴収率及び同原告の徴収率が右のとおりであったことは、当事者間に争いがない。)。

(3) 同年二月になると、同原告は、出勤しても上司に無断でたびたび勤務時間中に職場を離脱し、与えられた業務に従事しないことが多く、同月五日午前中、同営業所長安高八朗が「一月分の成績が下がっている。徴収率七〇パーセント台が三か月続いたので徴収成績不良ということで市民の苦情もあって委託契約を解除した委託者の例もあり、職員がこのような状態だと問題になるので仕事に熱を入れなさい。」と注意した。更に、同月二一日午前一〇時ごろ、同営業所料金係長福田正が「自分の与えられた仕事だけは責任をもって果たしてもらいたい。」と警告したところ、「自分の将来よりも現在の北九州市の方が大事だ。三月議会が始まれば、徴収なんかに従事できるかどうかわからない。」などと言って上司の命令を無視して従わず、その後も同料金係長が再三にわたって「自分で自分の首を締めることのないよう。」注意し、反省を促したにもかかわらず、「処分されることは覚悟のうえで行動しているので仕方がない。」と言って、反省の色は全く見られなかった。

同月二九日、同原告宅が水道料金未納であるため、同営業所料金係長福田正が水道料金を納入するよう注意した際、料金徴収員という自己の立場をも顧みず、「一二月議会の暴力議会で定めたことだから認められない。したがって水道料金は支払わない。」と言って、これに従わなかった。

同月における同原告の徴収状況は、係平均徴収率が八四・一パーセントであるのに対し、徴収率六四・三パーセントと更に悪化した(同月における係平均徴収率及び同原告の徴収率が右のとおりであったことは、当事者間に争いがない。)。

(4) 同年三月になると、同月は年度末ということで、水道料金の徴収に最も力を入れなければならない月であるにもかかわらず、同原告は、上司の職務命令を拒否して職場離脱を繰り返すことが多く、同月の勤務すべき日数二五日のうち、同月一五日から同月二二日まで(同月一七日は日曜日、同月二〇日は祝日のため除く。)の六日間は終日その職務を放棄し、また、同月四日、五日、六日、八日、一一日(半日)、二三日、二五日、二六日、二八日及び三〇日の一一・五日間は、終日又は出勤してもすぐに職場を離脱し、徴収事務に全く従事せず、このほか、年次有給休暇をとった日もあり、結局、同月中に水道料金等の徴収事務に従事したのは、同月二九日のわずか一日だけであった。

同原告は、同月一二日午前九時四〇分ごろ、同日から二一日までの八日間の年次有給休暇届を同営業所料金係長福田正に提出したが、その際、同係長から「今は年度末を控えて一番忙しい時である。市民に迷惑をかけるし、係全体も迷惑する。一日おきとか二日おきにとるように。」と時季変更を命じられたにもかかわらず、「議会が終わるまで徴収しない。このため処分されてもかまわない。」と言ってこれを無視して従わず、そのまま職場を離脱した(同月一五日からの年次有給休暇の請求については、時季変更権を行使した。)。その後、同月二二日までは全く同営業所に姿すら見せなかった。

同原告は、同月二三日午前中、同営業所料金係長福田正から「徴収する意思はないのか。」と問いただされた際、「本会議が終わるまで徴収は絶対にしない。」などと横柄な態度で反発し、このため、同係長が「それなら君の担当地区については他の係や委託者に応援徴収させるぞ。」と警告したにもかかわらず、「それに異存はない。」と言って、そのまま職務を放棄した。

同原告は、同月二六日午前九時三〇分ごろ、始業時刻から三〇分遅刻して出勤してきた際、同営業所料金係長福田正から「きょうから徴収に従事せよ。」と命令されたにもかかわらず、「きょうは午後から用事があってできない。賃金カットは覚悟しておるから、二八日までは組合の用事があるので徴収には行かない。」と言ってこれに従わず、午後から職場を離脱した。

このように、三月における同原告の勤務状況は極めて悪く、徴収状況も係平均徴収率が八五・四パーセントであるのに対し、同原告の徴収率は、わずか一七・六パーセントであった(同月における係平均徴収率及び同原告の徴収率が右のとおりであったことは、当事者間に争いがない。)。しかも、この一七・六パーセントの中には営業所の窓口で他の職員が同原告の担当地区使用者から収納したものも含まれているため、これを除いた同原告が実際に各使用者のところに赴き徴収した件数は、わずか七九件、徴収率八・三パーセントと極めて劣悪な成績であった。このため、同原告の受持区域においては以前にも増して料金の徴収がはかどらず、市民からの苦情は絶えない状態であった。そこで、ついには同原告の受け持ち分を同営業所職員七人で応援徴収せざるを得なかった。

(5) 同原告は、同年四月になっても、勤務時間中の職場離脱を繰り返し、同月一日ないし同月八日、同月一一日及び同月一三日は、出勤簿に押印してもすぐに職場を離脱するなどして、職場を放棄した(同月一日から同月八日までの間、徴収業務を行わなかったことは、当事者間に争いがない。)。

同月八日午前一一時四〇分ごろ、同営業所料金係長稲留政雄が釣銭二〇〇〇円を渡して水道料金の徴収に行くよう命令したにもかかわらず、同原告は、釣銭を同係長の机上に放置して出て行こうとした。このため、同係長が制止したところ、同原告は、「きょうは執行委員会に出席するから徴収には行かない。」と言って同係長の命令を無視して従わず、そのまま職場を離脱し、終日その職務を放棄した。

同原告は、同月一九日午前九時一五分ごろ、同営業所に常駐している業務部主幹広田二也から「仕事が本務ではないか。まじめに仕事をしないか。」と注意を受けたが、反抗する態度を示した。

また、同原告は、同月九日及び同月一六日、領収書を綴った簿冊の交付を受け、徴収のため外出したが、その日の入金を怠り、営業所に姿を見せなかった。

同月一日から懲戒免職処分を受けた同月二七日までの間の同原告の徴収状況は、同月の同原告の受持件数二八五〇枚(三月に処理すべきものを含む。)のうち六九〇枚しか徴収しておらず、徴収率も二四・二パーセントと低率であった(右期間における同原告の徴収率が右のとおりであったことは、当事者間に争いがない。)。

以上のとおり、同原告は、上司の再三にわたる職務命令や注意に対し、反発するばかりで全く従おうとはせず、これを無視して無届欠勤や職場離脱を繰り返し、自己の職務に従事しなかった。そのため、毎月の定期的な料金徴収がなされず、一般家庭における家計の計画的な運営を妨げることになり、連日にわたって同原告の受持区域内の水道使用者から苦情が絶えなかった。

2  同原告は、次のとおり、無届欠勤や勤務時間中の職場離脱を繰り返し、上司に対する抗議行動や違法な争議行為に参加した。

(1) 昭和四二年一〇月七日午前九時三〇分ごろから同九時四五分ごろまでの間、水道局八幡営業所事務室で執務中の職員に対し、水道・交通・病院の再建計画に反対して「谷市長あての葉書による抗議戦術を繰り広げよう。」などと呼びかけて、葉書を職員に配布してまわり、その間、自己の職務を放棄した(同原告が、同日、再建計画反対の葉書を職場に配布したことは、当事者間に争いがない。)。

(2) 同年一一月ごろから水道事業の財政再建計画案が議決された同年一二月一五日ごろまでにかけて、経営の悪化をきたした市水道事業の財政の建て直しを図るための諸措置(営業所における検針・徴収事務の私人委託化、職員の適正配置による人件費の削減等の措置)に反対するため、連日のように午前九時三〇分ごろから約一時間、水道局八幡営業所に勤務する職員らとともに、同営業所長安高八朗らに対し、抗議を繰り返すなどし、その間、自己の職務を放棄した。

(3) 同年一二月八日午後二時三五分ごろから同二時五三分ごろまでの間、勤務時間中であるにもかかわらず職場を離脱して、他の組合員及び支援団体員らとともに水道局建設部事務室に押しかけ、建設部次長野田誠らの制止を無視して、執務中の職員に対し、水道・病院の合理化反対、首切り反対等について呼びかけを行い、その間、自己の職務を放棄した。

(4) 同年一二月一五日、市職労が組合員多数を市議会議事堂に動員して水道・病院の財政再建計画案の議決を実力で阻止しようとする争議行為を行った際、あらかじめ職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず就労せず、終日その職務を放棄した。

(5) 昭和四三年二月二三日、市職労が争議行為を行った際、あらかじめ職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、同営業所の所在する八幡区役所の中庭で午前八時三五分ごろから同九時二五分ごろまでにかけて行われた勤務時間にくい込む集会においてビラを配布するなどし、その職務を放棄した(同原告が、右の集会においてビラを配布したことは、当事者間に争いがない。)。

(6) 同年三月一一日午前一〇時五〇分ごろから同一一時五分ごろまでの間、勤務時間中であるにもかかわらず職場を離脱し、他の組合員及び支援団体員らとともに水道局上水道課事務室に押しかけ、「合理化に反対し、谷市長をやめさせるよう公庁職員は先頭に立って頑張ってくれ。」と呼びかけた。

(7) 同月一五日、二一日、二二日及び二五日、市職労が争議行為を行った際、あらかじめ職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず就労せず、いずれの日も終日その職務を放棄した。

(8) 同年四月三日午後五時五分ごろから勤務時間の終了する同五時三〇分ごろまでの間、上司に無断で職場を離脱して、同月一日から施行された勤務条件の改正に抗議するため市議会議事堂に押しかけ、同議事堂内の第二会議室前の廊下において、他の組合員ら約三〇人とともに、市議会衛生水道委員会に出席中の水道局長三島慶三に対し面会を強要して大声を発し、喧騒にわたるなどして同委員会の会議の正常な運営を妨害した(同原告が、同日、同委員会に陳情のため行ったことは、当事者間に争いがない。)。

(9) 翌四日は、午前一〇時ごろから午後〇時ごろまでの間、勤務時間中であるにもかかわらず、職場を離脱し、自ら先頭に立って他の組合員らとともに水道局人事課事務室に押しかけ、人事課長津本拓男に対し給料表の適用問題について激しく抗議を行い、更に、同一時ごろから同四時三〇分ごろまでの間、他の組合員ら約六〇人とともに水道局総務課・人事課事務室に押しかけ、「全員で局長に会わせろ。」などと大声を出して水道局長三島慶三への面会を強要し、同事務室内に座り込んで両課職員の執務を妨害し、更に、局長室入口付近にいた管理職員を押しのけて局長室になだれ込み、局長に対し激しく抗議し、また、これを制止しようとした水道局総務課長谷岡正に対して暴言を浴びせた(同原告が、同日、水道局人事課事務室において、午前一〇時からは津本課長に対し、午後一時からは三島水道局長に対しそれぞれ給料表問題について抗議する行動に参加したことは、当事者間に争いがない。)。

以上の事実によると、同原告の右各行為は、地公法三〇条、三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号ないし三号の各懲戒事由に該当するものというべきである。

(二)  原告金子弘光について

後記同原告に関して当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の各事実を認めることができ、(人証判断略)、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。

同原告は、昭和四三年二月、三月当時、市清掃事業局若松清掃事務所の自動車運転手で、市職労若松支部執行委員であったが、同年二月から三月にかけて市職労が勤務条件改正等に反対して行った争議行為に際し、次に述べる違法行為をした(同原告の所属及び組合役職は、当事者間に争いがない。)。

1  昭和四三年二月九日午前八時二〇分ごろから同九時一二分ごろまでにかけて勤務時間中であるにもかかわらず就労せず、他の組合員ら多数とともに若松清掃事務所二階の所長席に押しかけ、所長を取り囲み、所長の再三にわたる就労命令を無視して、安倍貢分会書記長の懲戒処分や、勤務条件改正問題などについて所長に対し激しく抗議し、その際、所長の鼻先で安倍貢の処分通知書の入った封筒を激しく振りまわし、その封筒で所長の顔や手を数度にわたり打擲し、同封筒を机に叩きつけるなどの暴行を加えた(同原告らが、右の日時に、若松清掃事務所長に対し他の組合員とともに安倍貢の懲戒処分等に関して問いただしたこと、同原告が、その際、安倍貢の処分通知書が入った封筒を手に持っていたことは、いずれも当事者間に争いがない。)。

2  更に、同日午前九時二五分ごろから同九時五五分ごろにかけて勤務時間中であるにもかかわらず就労せず、組合員ら約三〇人とともに若松区役所区次長室に押しかけ、同区役所第一区次長船津勘次に対し、懲戒処分の撤回などを要求して激しく抗議した(同原告らが、右の日時に、若松区役所に赴き第一区次長船津勘次に対し安倍貢の処分に関する説明を求めたことは、当事者間に争いがない。)。

3  同月二二日午後一時五分ごろ、若松清掃事務所作業員第二控室において、所長らが同清掃事務所職員に対し職務命令書を交付しようとした際、同原告は、所長に対し「職務命令書をなぜ渡すのか、なぜ渡す前に組合に相談しないのか。」などといって激しく抗議し、約四〇人の組合員に向って職務命令書の受取り拒否を呼びかけて組合員らを室外に連れ出し、職務命令書の交付を妨げた(同原告が、右の日時に、所長に対し職務命令書を交付する理由及び必要性を問いただしたことは、当事者間に争いがない。)。

4  同日午後二時一五分ごろ、同清掃事務所業務第二係長松尾吉人らが、作業員第二控室において職務命令書を受けとっていない者に対し職務命令書を交付しようとしたところ、同原告は、同係長らに対し激しく抗議したうえ、「命令書は全部当局に返すべきだ、皆出しなさい。」と組合員らに向って職務命令書の返上を強く指示した(同原告が、組合員らに対し職務命令書の返還を指示したことは、当事者間に争いがない。)。

5  同日午後二時四〇分ごろから同三時一五分ごろにかけて、勤務時間中であるにもかかわらず就労せず、安倍貢ら数人とともに同清掃事務所二階の所長席に押しかけて所長を取り囲み、「何もないのに職務命令書を交付する理由を言え。」、「職務命令を出す根拠は何か。」などと職務命令書を交付したことを非難して激しく抗議した(同原告らが、所長に対し職務命令書の交付に関して抗議したことは、当事者間に争いがない。)。

6  同月二三日午前七時五五分ごろから同八時三五分ごろにかけて、若松清掃事務所作業員第二控室において勤務時間内集会が行われた際、同清掃事務所業務第二係長松尾吉人が集会を中止するよう命じたにもかかわらず、これを無視し、同集会において組合員に対し当日の行動について指示を行った(同原告が、同集会に参加したことは、当事者間に争いがない。)。

7  同年三月一三日午前七時五二分ごろから同七時五八分ごろにかけて、若松清掃事務所作業員第二控室において勤務時間内集会が行われた際、同清掃事務所業務第二係長松尾吉人が集会を中止し、就労するよう命じたにもかかわらず、これを無視し、「昨日の拡大執行委員会で今日からの闘争スケジュールが決った。」「今日は支部で六〇人の議会請願行動を行うが、積極的に指令を守って行きたい。」などと市議会への請願行動に参加するよう呼びかけた(同原告が、同集会に参加したことは当事者間に争いがない。)。

8  同月二〇日午後八時四五分ごろから同九時一七分ごろにかけて、組合員約四〇人とともに若松区役所区長室に押しかけ、スト対策のため同区長室に待機していた同区役所総務課長甘庶克美をはじめとして同区役所の管理職員ら七人を強制的に床に坐らせたうえ、三月一五日の争議行為に際し職員を入庁させたことについて「三月一五日のピケ破りの指示は誰がしたか。」、「ピケ破りは不当労働行為だ。」などと激しく抗議するとともに、同区役所総務課長甘庶克美に対し、三月一五日の争議行為に際し、職員の入庁を指示したことを書面に書くよう強要した(同原告が、右の日時に、若松区役所区長室における抗議行動に参加したことは、当事者間に争いがない。)。

9  同月二二日午前七時一二分ごろから同七時四二分ごろにかけて、他の組合員約三〇人を先導して若松清掃事務所二階の所長席に押しかけ、所長を取り囲んで同月一九日及び同月二一日職務命令書の一部を職員の自宅に配付したことについて「所長あんたこんなことをしていいのか、おかしいではないか。」などと大声を上げ、職務命令書及び警告書を所長の面前につきつけ「泥棒みたいに夜間家庭に来るとはおかしいではないか。」などと暴言を吐くなどしてつるし上げ、「この机などのけてしまえ。」と組合員らを指揮して所長のロッカーや机を取り除かせたり、所長の机の上にあったプラスチック製のオシボリ入れを机に激しく叩きつけたりしたため、オシボリ入れは粉々に砕け、飛散した破片が居合わせた同清掃事務所業務第二係長松尾吉人の手にささり、同人に切創を負わせた。

なおも、同原告は、所長の机の上にあった陶製の灰皿(直径約二〇センチメートル)を所長めがけていきなり払い飛ばしたため、その灰皿は所長が手にしていた眼鏡に当たり(その眼鏡は破損した。)、更に、所長の胸部中央に当たり、同人に打撲傷を負わせた。

しかも、所長が「このような暴力は中止せよ。」とたしなめると、激昂して所長に突きかかろうとした。

身の危険を感じた所長が、窓から一階屋根に脱出すると窓ごしに激しく抗議を続けた。

その後、室内に戻った所長が階下へ降りるよう説得すると、再び激昂し、所長の机の上の決裁箱から新聞紙をとりあげて丸めると所長の右肩を叩きつけた。所長がこれを厳しく注意すると「所長は労働者の敵だ、お前は死んで貰わねばいかん。」などと脅迫的言辞を吐き、机や決裁箱を叩き、ついには決裁箱を持ち上げて所長の眼前で上下に振り回すなど、暴行脅迫をくり返し、更に、居合わせた同清掃事務所業務第一係長江尻和広らに対し「組合活動に不当に干渉している。」「不当労働行為をした覚えはないか。」などと激しく抗議した(同原告が、所長室における抗議行動に参加したことは、当事者間に争いがない。)。

10  同日午前七時四二分ころから、組合員らが同清掃事務所事務室において執務中の同清掃事務所指導員団野敏夫を見つけて「組合員のくせに、当局の言うようなことを言う。」と難詰して激しくつるし上げた際、同原告は、同清掃事務所業務第二係長松尾吉人がこれを制止したにもかかわらず、同指導員に対し「下に降りてもらう。」といって他の組合員とともに同指導員を階下の作業員第二控室へ強引に連行した。

管理職員らが同指導員を連れ戻すため、同控室に入室しようとしたところ、同原告は、図師隆行とともにドアを閉鎖し、これを背にして管理職員らの入室を阻止し、更に、所長が「執務中の指導員を無断で連れ出し、個人攻撃をすることは許されない。指導員を返せ。」と命令したにもかかわらず、これを無視し、同七時五六分ごろまで同指導員をつるし上げた。

11  同原告は、同年二月七日は午前八時から同八時三〇分までの三〇分間、同月八日は同七時四五分から同八時二〇分までの三五分間、同月一三日は午後三時から同三時三〇分までの三〇分間、同年三月一二日は午前七時五〇分から同八時二五分までの三五分間、それぞれ職場を離脱してその職務を放棄し、また、同年二月二三日は午前七時五五分から同八時三五分までの四〇分間、同年三月一五日、二一日、二二日及び二五日は終日、いずれも職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらずその職務を放棄した。

以上の事実によると、同原告の右各行為は、地公法三〇条、三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号ないし三号の各懲戒事由に該当するものというべきである。

(三)  原告金本政夫について

後記同原告に関して当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の各事実を認めることができ、同原告本人尋問の結果中同認定に反する部分は採用することができず、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。

1  同原告は、昭和四三年三月、四月当時、門司区役所失業対策課に所属する技術吏員で、市職労門司支部書記次長の組合役職にあった(同原告の所属及び組合役職は、当事者間に争いがない。)が、右の当時、北九州市においては、前記財政再建計画等の問題のほか、次のような失対事業に特有の問題が存していた。

市は昭和三九年、改正された緊急失業対策法に従って、失対事業の適正な運営を図るため運管規則を制定したが、その後も、市における失対事業は、当局側の管理をよそに就労秩序が乱れ、午前八時から午後四時四五分までと定められた就労時間は遵守されず、失業保険の受給日を増やすため休日である日曜日に就労する事実もあり、また、頻繁に勤務時間内集会が行われ、あるいは、就労しても職場離脱をする者が跡を絶たないなど乱脈な状態にあった。このような折、労働省は、昭和四二年六月と九月の二回にわたって、市における失対事業を監査するため、中央失業対策事業監察官を市に派遣し、八幡、門司、小倉の各区で失対事業の実態調査を行い、その結果、右のような就労秩序の乱れを指摘、なかんずく不就労に対する賃金の支払は国庫補助金の不当支出であるとして、厳しい警告を発する事態となり、市議会においても、これの運営改善についての強い意見が出される有様であった。

このため、市当局は、昭和四三年二月の定例市議会に、市職員の勤務時間などの勤務条件適正化のための条例案などとあわせて、失対事業の適正な運営を図るため失業対策局を設置する条例案を提出した。

これに対し、失対事業就労者の労働組合等は、これらの条例は職員の勤務条件を切り下げるものであり、失対事業の打切りにつながるものであるとして、これらの条例制定に激しく反対し、条例案の議決の阻止を図った。右条例案は、結局、同年三月二五日、市議会において可決され、同年四月一日から施行されることになったが、右労働組合等は、その後においても失業対策局及び各失対現場で激しい抗議の紛争を繰り返した(市が昭和三九年改正された緊急失業対策法に従って運管規則を制定したこと、失対事業就労者の就業時間が午前八時から午後四時四五分と定められていたこと、労働省が昭和四二年六月と九月の二回に亘って中央失業対策事業監察官による市の失対事業の監査を行ったこと、市当局が昭和四三年二月の定例市議会に市職員の勤務時間など勤務条件変更のための条例案などと併せて、失業対策局を設置する条例案を提出したことはいずれも当事者間に争いがない。)。

2  右のような状況において、同原告は、次の違法行為をした。

(1) 昭和四三年三月一五日門司区役所失業対策課西海岸現場事務所で、職員が午前八時から同九時までの超過勤務命令を拒否し、職場を離れ、争議行為を行ったため、同課主幹尾崎義喜らが離脱した職員に代って失対事業就労者の就労の受付事務をしていたところ、同原告は、同日午前八時一〇分ごろ、尾崎主幹に対し「組合員を使うな。」などと抗議して受付事務を妨害し、更に、同日午前八時五八分ころ、同区役所玄関入口に他の組合員らとともにピケを張った(同日、同所で、職員が午前八時から同九時までの超過勤務命令を拒否し就労しなかったため、尾崎主幹らが不就労の職員に代って失対事業就労者の就労の受付事務をしていたところ、同原告が、同日午前八時一五分ごろ、尾崎主幹に対し「組合員を使うな。」と抗議したことは、当事者間に争いがない。)。

(2) 同月二三日午前九時四〇分ごろから同一〇時ごろまで、同課和布刈現場事務所において同課課長吉永清が職務命令書を交付した際、同原告は、同命令書の受取を拒否し、更に、同課長に対し前日配置された主査三名について、「俺たちと全日自労をスパイさせるのか。」などと抗議した(同原告が、右の日時に、同所において吉永課長が交付しようとした職務命令書の受取を拒否し、更に、前日配置された主査三名に関して同課長に対し抗議したことは、当事者間に争いがない。)。

(3) また、同課西海岸現場事務所で職員が同日午後一時から同四時四五分までの超過勤務命令を拒否し職場離脱したため、当日の賃金支払事務に工事係の職員らを配置していたところ、同原告は、同日午後一時一〇分ごろから同一時二〇分ごろまで、「仕事は職制でやれ。」「工事係の職員を使うのは絶対に許されん。」「これはスト破りだ。」などと同課主幹尾崎義喜らに対し激しく抗議した(同原告が、同所において、尾崎主幹らに対し抗議したことは、当事者間に争いがない。)。

(4) 同月三〇日午前九時四〇分ごろから同一一時五八分ごろまで、同課において、同年四月一日から変更される職員の勤務時間や業務内容の変更等についての事務説明のために各現場の主任等を招集し、会議をはじめたところ、同原告は、同課課長吉永清に対し「職員全部を呼べ、組合の代表以外に代表はいない。」「チンピラ課長が……」等と大声をあげ、同課長の説明を妨害した(各現場の主任等が、同日、右事務説明のため同課に集められたこと、その際、同原告が、吉永課長に対し職員全員を集めるよう要求したことは、当事者間に争いがない。)。

(5) 同年四月一五日午前八時五七分ごろから同一一時四六分ごろまで、無断で職場を離脱し、市職労門司支部組合員約二〇名とともに同課に押しかけ、同日の研修旅行について、同課課長吉永清及び同課主幹尾崎義喜に対し、激しく抗議を行い、机をたたいて大声で、「気のきいたことを云うな、チンピラ課長が。」など叫び、本庁に出向くため退室しようとした同課長らに体当りして退室を妨害するなど、上司に対して不穏当な言動をなし、同課長らの業務を妨害した(同原告が、右の日時に、吉永課長らに抗議を行ったことは、当事者間に争いがない。)。

(6) 同月一七日午前九時四二分ごろから午後〇時三〇分ごろまで、同課において、職員の職務配置について同原告らと話合いが行なわれた際、同原告は、勤務中の同課の係長らに「お前たちこっちに来い。」と申しむけてその執務を妨害し、これに応じなかった同課東部工事係長と同課中部工事係長の体をそれぞれ二、三回強くたたき、右の話が不調に終ると「こんなアホー、バカと話し合ってもつまらん、べっと云うまでネジふしてやる。」などと同課長らを脅迫した(同原告が、工事係長を話合いに参加させようとしたことは、当事者間に争いがない。)。

(7) 同月二三日午前九時一五分ごろから同九時三五分ごろまで職場離脱して、同九時二三分ころ、他の組合員三名とともに同課に赴き、当日発令の同課所属の新任職員の紹介を終り「これで職員の紹介を終ります。」と言っていた同課課長吉永清に対し「終らんでもいいじゃないか。」と言いがかりをつけ、席にもどろうとした同課長の右肩に両手をポケットに入れたまま三回ほど体ごと激しくぶっつけ、見かねて「おだやかに話したらどうかな。」と注意した同課の職員に対して、「なにおこの野郎」と言いながら同職員の頭部を手で強く突き、暴力をふるった。

(8) 同原告は、同年四月二六日午後一時一二分から同一時五八分までの四六分間、職場を離脱してその職務を放棄し、また、同年三月二五日及び二六日いずれも職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日その職務を放棄した。

以上の事実によると、同原告の右各行為は、地公法三〇条、三二条、三三条、三五条、三七条一項、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号ないし三号の各懲戒事由に該当するものというべきである。

四  原告らは、地方公務員の争議行為を禁止した地公法三七条一項、地公労法一一条一項が勤労者の労働基本権を保障した憲法二八条に違反し無効であると主張するので、この点につき判断する。

当裁判所は、最高裁判所の判決(最高裁昭和四四年(あ)第一二七五号昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁)に従い、すべての非現業の地方公務員につき争議行為を一律に禁止した地公法三七条一項が憲法二八条に違反するものではないと解するものである。すなわち、地方公務員は、地方公共団体の住民全体の奉仕者としてこれに対して労務提供義務を負うという特殊な地位を有し、かつ、その労務の内容は、直接公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質を有するものであるから、地方公務員の争議権その他の労働基本権は、地方公務員を含む地方住民全体ないしは国民全体の共同利益のためにこれと調和するように制限されてもやむを得ないところである。また、地方公務員の勤務条件は、法律及び地方公共団体の議会の制定する条例によって定められ、その給与が地方公共団体の税収等の財源によってまかなわれることから、専らその地方公共団体における政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮によって決定されるべきものである点において、私企業における労働者の場合のように団体交渉による労働条件の決定という方式が当然には妥当せず、争議権も団体交渉の裏づけとしての本来の機能を発揮する余地に乏しいことなどのために、これを制限しても私企業における労働者の場合のような不利益ないし影響は少なく、更に、地公法上、地方公務員のために勤務条件に関する利益を保障する定めがなされている(地公法二四条ないし二六条)ほか、人事院制度に類似する性格をもち、かつ、これと同様の又はこれに近い職務権限を有する人事委員会あるいは公平委員会の制度(同法七条ないし一二条)が設けられているなど、地方公務員の労働基本権の制約に見あうだけの代償措置が講じられているからである。

次に、地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員及び単純な労務に従事する一般職に属する地方公務員(以下両者を合わせて単に「職員」という。)も憲法二八条所定の勤労者に当たるが、職員は、地方公務員であるから、身分取扱い及び職務の性質・内容等において非現業の地方公務員と多少異なる点があっても、全体の奉仕者として地方の住民全体に対し労務提供の義務を負い、公共の利益のため勤務するものである点において両者間に基本的な相違はなく、職員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性及び職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃が住民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか又はそのおそれがあることは、他の非現業の地方公務員、国家公務員及びいわゆる公共企業体の職員の場合と異なるところがない。そして、職員は、非現業の地方公務員と同様に議会制民主主義に基づく財政民主主義の原則により給与その他の勤務条件が法律ないし地方議会の定める条例、予算で決定される特殊な地位にあり、職員に団体交渉権、労働協約締結権を保障する地公労法も条例、予算その他地方議会による制約を認めている(地公企法三八条四項、地公労法八条ないし一〇条等)。また、職員の職務内容は、利潤追求を本来の目的としておらず、その争議行為に対しては、私企業におけるのと異なり使用者側からの対抗手段を欠き(地公労法一一条二項)、経営悪化といった面からの制約がないだけでなく、いわゆる市場の抑制力も働く余地がないため、職員の争議行為は、適正に勤務条件を決定する機能を果たすことができず、かえって議会において民主的に行われるべき勤務条件決定に対し不当な圧力となり、その手続過程をゆがめるおそれもある。したがって、職員の争議行為が、これら職員の地位の特殊性と住民ないし国民全体の共同利益の保障の見地から、法律により私企業におけるそれと異なる制約に服すべきものとされるのもやむをえないといわねばならない。しかし、一方、職員が憲法によりその労働基本権を保障されている以上、この保障と住民ないし国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とすることは憲法の趣意であると解されるから、その労働基本権の一部である争議権を禁止するに当たっては、これに代わる相応の代償措置が講じられなければならないところ、現行法制をみるに、職員は、地方公務員として法律上その身分の保障を受け、給与については、生計費、同一又は類似の職種の国及び地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して条例で定めなければならない(地公企法三八条三項、四項)とされている。そして、特に地公労法は、当局と職員との間の紛争につき、労働委員会によるあっ旋、調停、仲裁の制度を設け、その一六条一項本文において、「仲裁裁定に対しては、当事者は、双方とも最終的決定としてこれに服従しなければならず、また、地方公共団体の長は、当該仲裁裁定が実施されるように、できる限り努力しなければならない。」と定め、更に、同項但書は、当局の予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容とする仲裁裁定については、一〇条を準用して、これを地方公共団体の議会に付議して、議会の最終決定に委ねることにしている。これらは、職員ないし組合に労働協約締結権を含む団体交渉権を認めながら、争議権を否定する場合の代償措置として、適正に整備されたものということができ、職員の生存権擁護のための配慮に欠けるところはないというべきである。

したがって、地公労法一一条一項は、職員に対し争議行為を一律全面的に禁止しているけれども、憲法二八条に違反せず、原告らの右主張は採用することができない。

五  原告らは、本件各処分が懲戒権の濫用に該当する旨主張するので、この点につき判断する。

地方公務員に懲戒事由がある場合に、懲戒権者が当該公務員を懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる懲戒処分を選択すべきかを決するについては公正でなければならない(地公法二七条)ことはもちろんであるが、懲戒権者は懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、その他諸般の事情を考慮して、懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定できるのであって、それらは懲戒権者の裁量に任されているものと解される。したがって、右の裁量は恣意にわたることをえないことは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。

これを本件についてみるに、前記三で判示した原告らの各違法行為の性質、態様及び情状に照らすと、懲戒免職処分を選択するにあたっては特に慎重な配慮を要することを考慮したとしても、本件各処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいい難い。

したがって、原告らの右主張も採用することができない。

六  原告らは、本件各処分は原告らの組合活動を理由とするものであり、労働組合法七条一号の不当労働行為に当たる旨主張するが、本件全証拠によるも本件各処分が原告らの組合活動を理由とするものとは認められないから、原告らの右主張も採用することができない。

七  よって、被告のなした本件各処分には違法な点がなく、右各処分の取消しを求める原告らの本訴各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤浦照生 裁判官 草野芳郎 裁判官古賀輝郎は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 藤浦照生)

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